Kamis, 26 April 2012

マナド方言の会話


マナド方言(ほうげん)の会話(かいわ)
                                                                                        


 最近(さいきん)、人(ひと)はよい関係(かんけい)を築(きず)くために、かたくるしい礼儀(れいぎ)を避(さ)けることがあります。なぜかといいますと、それは時代(じだい)に合(あ)わない時(とき)もあると、ある人々(ひとびと)が言(い)っていました。特(とく)に、一(ひと)つの礼儀(れいぎ)は話(はな)すことです。話(はな)すときには敬語(けいご)は各表現(かくひょうげん)において大事(だいじ)です。それを通(とお)して、話(はなし)をする人(ひと)たちとのよい関係(かんけい)を築(きず)くことができると思(おも)います。しかし、最近(さいきん)では、だれと、何(なに)を、話(はな)し合(あ)うかなどによって、判断(はんだん)するようです。
 話(はな)すということはコミュニケーションとるために使(つか)います。それにしても、相手(あいて)に対(たい)して、失礼(しつれい)な言葉(ことば)を無意識(むいしき)に言(い)ってしまう人(ひと)もいます。これはマナド方言(ほうげん)を使(つか)っているマナドの人(ひと)によく見(み)られます。たとえば、マナドの子供(こども)は年上(としうえ)の人(ひと)に話(はな)しかけるとき、Om や、Tanteを使(つか)わずに、名前(なまえ)だけを言(い)います。また、Ngana という人称代名詞(にんしょうだいめいし)だけをいう人(ひと)もおおぜいいます。Ngana は日本語(にほんご)で「お前(まえ)」という意味(いみ)です。これは年上(としうえ)の人(ひと)に対(たい)して使(つか)うと、とても失礼(しつれい)な言葉(ことば)です。
 お母(かあ)さんに対(たい)して、”ngana mo pi mana?” (日本語(にほんご)で「お前(まえ)はどこに行(い)く?」)とある子供(こども)が言(い)いました。また、その子供(こども)は ”span-span dang ne” (日本語(にほんご)で「色(いろ)っぽいよね」)とも冗談(じょうだん)みたいに言(い)いました。それを聞(き)いたお母さんは ”kyapa so ngana?” (日本語(にほんご)で「何(なん)だ、お前(まえ)」)とおこってしまいました。
 みんなさん、このような会話(かいわ)を、どう思(おも)いますか。マナド方言(ほうげん)では、子供(こども)は年上(としうえ)の人(ひと)との話(はな)し方(かた)に関(かん)して、自由(じゆう)なようです。具体的(ぐたいてき)にそういう会話(かいわ)は、マナドの社会(しゃかい)では普通(ふつう)ですが、これは大変(たいへん)なことだと私(わたし)は思(おも)います。なぜかといいますと、子供(こども)は両親(りょうしん)や、先生(せんせい)や、知(し)らない人(ひと)などにも、同(おな)じように話(はな)してしまうからです。
 言葉(ことば)を通(とお)して、周(まわ)りの人(ひと)たちとよい関係(かんけい)を築(きず)くためには、礼儀(れいぎ)を知(し)って自(みずか)らの生活習慣(せいかつしゅうかん)として実行(じっこう)していく必要(ひつよう)があります。また、礼儀(れいぎ)を通(とお)して伝(つた)わったよい印象(いんしょう)がずっと相手(あいて)の記憶(きおく)に残(のこ)ることになると思(おも)います。

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